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ラット海馬のシータリズムと記憶形成

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【ラット海馬のシータリズムと記憶形成】

独立行政法人理化学研究所脳科学総合研究センター
創発知能ダイナミクス研究チーム
山口陽子

海馬は人間では陳述記憶、特にエピソード記憶、個人的に体験された出来事の記憶の座と考えられている。例えば“昨日の昼、食堂で友達にあった”ということを思い出したとすると、一つの出来事でも様々な場面が出てくる。このような記憶は、映写機を回すような、カメラの位置の操作まで可能にするような映画の上映機能に似ている。多様性を持つ時間空間パターンの情報を表現する神経回路が形成されることは必要条件である。計算論的にも神経機構としても、いろいろ重要な問題を含んでいる。さて、齧歯類、特にラットにおいては、海馬関連部位に関して、部屋走り回る最中の神経活動の記録から、記憶を司る神経活動解明の試みが進められて来た。最近、新たな実験事実が次々と方向されて、回路のダイナミクスとして、また計算論の理解として大きく展開している。 海馬は何を計算するのだろうか、そしてそれはどのような表現とアルゴリズムによって行われ、また神経細胞のどのような性質によって実現されるのだろうか。最近のラットに関する実験および理論的な研究の展開について、私達の研究を中心に解説する。

世界を知る脳:認知地図仮説

ラット海馬の実験研究の展開の発端は、動物が、環境の全体性を文脈として認識するという立場に由来している。ラットが、文脈情報を用いている可能性は、海馬の電気生理的な研究の進む以前、心理学者、トルーマンによって行動実験から示されていた。トルーマンは、20世紀前半当時活発であった行動主義、刺激から反応への組み合わせとしての生物の実験を批判する立場にあって、次のような主張をした(1,2)。生物は、個々の刺激ではなく、むしろ環境の総体を認識しており、その中で自らの行動を生み出すという考え方である。環境の総体を認知地図と呼んだ。彼はラットの迷路実験において、迷路をなすトンネルを除去してしまったときに、餌までのまっすぐの近道を走っていくことができることを示した。そして、そのような始めての道筋を走る行動は、刺激反応の連鎖では説明できず、認知地図の存在が示唆されると考えた。

図1 認知地図仮説 ラットが左から右に移動する時、それぞれのplace field(プラットホームの床面に図示)を通るにつれて対応する場所細胞(図では1~4)が発火を示す。環境内の居場所は細胞の発火率で表される。

ラットの認知地図について、大脳の電気生理実験から答えたのがオキーフらである(3)。ラットが部屋の中を走り回る間、大脳海馬の神経活動の記録より、部屋の中でのラットの居場所に応じて、個々の細胞が、それぞれ固有の場所で発火活動を示すことを見つけて、場所細胞と呼んだ。図1に模式的に示すように、個々の場所細胞は、ラットが環境内の特定の場所(place field)を通りすぎる時に細胞の発火率が上昇する。場所細胞それぞれが異なったplace filed を持ち、どの場所細胞が高い発火率をもつかで、ラットがどこにいるかが海馬内に表現されることになる。ここでいう場所とは、網膜内の位置とか、身体に対するどちら側(自己中心座標)ではなく、ラットのいる部屋などの外部環境における位置(他者中心座標)である。海馬には、たくさんの場所細胞があり、ラットの部屋の中での移動は、それら場所細胞集団の発火状態によって、表現される。このような細胞集団によって表現される活動を認知地図であるとする、海馬の認知地図仮説を提出した。

刻まれるシータリズムと圧縮される経験

一方で、ラット海馬では、ラットが自発行動する間、規則正しい8ヘルツ程度の正弦波的な細胞集団のリズム活動“シータリズム”がlocal field potential(シナプス電流に由来)として観察されることが知られていた(4)。場所細胞の活動と、シータリズムの関係はいろいろ議論されていたものの、その情報的な役割について明確な知見が示されるのは、1993年(5)にまで待たなければならなかった。1つの場所細胞の発火のタイミングをシータリズムの周期の中での相対的なタイミングとして調べると、一定のルールがあることを報告したのである。

図2 ラット海馬のシータ位相歳差 図1と同じラットの移動時、それぞれの細胞の発火のタイミングをlocal filed potentialのシータリズムと比較すると、発火の位相が周期毎に徐々に早い方にシフトしている。互いのplace fieldが一部重なる細胞1~4で調べると、それぞれの細胞の発火のタイミングはシータ周期毎に1→2→3→4と順番を作って繰り返す。ラットの場所細胞集団で表される数メートルを走る行動は数秒かかるのに対し、同じ順番の発火がシータリズム内の位相差として現れる。つまり海馬では位相歳差によりラットの行動を1/8秒に圧縮した表現している。(文献,による)

図2に模式的に示す。1つの細胞の発火に注目されたい。シータリズムの1周期の中のある位相で開始する場所細胞の活動は、ラットの空間位置の移動にともない、次の周期ではより早い位相で発火し、さらにその次の周期ではもっと早い位相で発火する。ラットが1つのplace fieldを通りすぎると、その場所細胞の発火の位相の相対的なシフトはシータリズム1周期程度に渡る。彼らは、このような位相の情報が、place fieldという広がりのある場所の情報をより詳細にコードすること、つまり場所に入ったばかりとか真ん中まで来たという区別が位相に表現できること、またこのような情報が空間学習に対しても寄与すると考えた。(ここで簡単のためにシータ周期毎に1つのスパイクがでるように記したが、実際はスパイクの集合、バーストである。)このような場所細胞がシータリズムとの相対的な位相に情報をもつ性質は、1996年の複数の場所細胞の同時記録(6)の報告により、記憶との関係をさらに深く示唆するものになった。興味深い結果は、各細胞の発火の位相シフトがばらばらでなく揃っておきることに由来する細胞同士の発火のタイミングの維持である。図2の模式図において、細胞1~4の発火の相対的な性質に注目されたい。既に通りすぎようとしている場所細胞1の活動はもっとも位相が進んでおり、これから入ろうとする細胞4の位相は最も遅れている。細胞1~4はラットの走る方向にそった空間の並びに対応する順番で、シータリズムの周期の中での発火の順番として見いだされるのである。そもそもラットの行動においては、ある場所を通り抜けるのには数秒を要する。シータリズムは1/8秒、つまり125ミリ秒であり、その短い時間の中に数秒で経験される行動の出来事が圧縮されて現れ、しかもそれがplace fieldを通り抜ける間、シータの毎周期に繰り返されるのである。シータリズムの中での相対的なタイミング、位相に注目すると、どこにいるか、ではなくて、どこから来てどこにやっていくかという情報が現されている。このような位相に依存した場所細胞の活動をシータ位相歳差(theta phase precession)と呼ぶ。位相歳差のモデルというパターンの再現だけに注目するといくつかの神経機構の提案があるが(7)、次の説で位相歳差から記憶への問題に絞ることにする。

シータリズムの位相から回路の記憶へ

図3 シナプス可塑性 (a) 発火の時間遅れに依存した長期増強(LTP)と長期抑圧(LTD)

このようなシータリズムに圧縮された行動の時系列が記憶との関係で興味深いのは、図3に示すように、その時間スケールがシナプス可塑性を左右すると同じ時間スケールで特徴づけられているからである。シナプス可塑性が最も高い率でおきるのは、前シナプスと後シナプスが同時に発火する場合ではなく、後シナプスが一定の時間遅れをもって発火する場合であることは、早くから知られていた(8)。この性質により、2つの細胞の双方結合を同時に増強するようにはなっておらず、発火の時間差によって、どちらか一方が増強して非対称な結合を作るという基本性質を有することになる。このようなシナプス可塑性を時間的に非対称な窓を持つと呼ぶことにする。シナプス増強が可能な窓の幅は50ミリ秒であり、それ以外ではかえって結合の減少が起きる。この窓のサイズが、シータリズムの位相歳差によってパターン化された場所細胞の発火の時間スケールに一致している。同じ周期で活動する細胞でも互いに必ずしも結合は増強されず、非対称の窓に入って来る発火の相手に対してのみ、選択的に非対称結合を形成することになる。海馬で、一種の連想記憶の神経回路として働く主たる領野はCA3野である。周期毎に繰り返される一定の位相差活動は、CA3における記憶形成において選択性をより安定に保証できる可能性がある。

シータリズムの非線形振動子回路

図4 位相歳差生成の非線形振動子モデル(文献9,10)。

私達の提唱するのは、図4に示すようなシータ発生を内在する神経細胞と、local field potentialのシータリズム(介在神経集団の活動に相当)とのリズム同士の相互作用を仮定する機構である(9,10)。生物系の振動は殆どが非線形振動子であり、この場合相互作用系では引き込みと呼ばれる、振動子相互の位相が一定になる現象が起きることはよく知られている。位相の関係が選択的に保たれることが記憶機能につながるのであるとすると、このような引き込みの機構が働いていると考えるのがごく自然である。ただし、通常引き込みにおいて、位相差はそれぞれの振動子が固有にもつ振動の速さ(自然振動数)の値によって一定に決まる。海馬で起きている現象が位相のシフトであるとすると、引き込みの性質を生かしたままでその位相差をパラメータ的に変化させる機構があるはずである。その性質を現象的に最も簡単に表現すれば自然振動数が数秒の時間の間で徐々に変化するものでなければならない。その変化が位相進みをもたらすためには、自然振動数の変化の方向は増大である。

図5に示すのは、このような振動の特性を考慮した海馬の神経回路のモデルである。海馬に対して、その入り口である内嗅野の部分に、振動子として活性化する神経があるとすると、海馬のCA3,およびCA1の双方に対して、位相コードの時系列得情報を提供することで、CA3内、CA3-CA1間の2つの連想記憶回路に対して、非対称結合を選択的に生成する作用が生まれる。昨年、内嗅野V層に、振動数が入力によってステップ的に変化し、非常に安定に維持される神経細胞がみつかった(11)。この神経細胞がシータ位相歳差の最中にどのような振舞をするかについては報告はないが、モデルの過程を担う可能性として注目されるCA3内の再起結合においては、図3で見たような時系列の記憶をシナプス可塑性として残すことができる。内嗅野の中でII層(ECII)とIII層(ECIII)とは同じ振動活動をもつが後者が位相で1/4周期程度遅れている。このような位相の遅れは、実際のラットにおいても顕著に見られるもので(12)、海馬回路が一旦貯蔵する情報を想起する場合に内容を読み出して新皮質に送り返すために、その送り先を任意に指定するたもの可塑性を制御する役割をする。記銘時CA3-CA1間の回路は、やはり同様なシナプス可塑性の時間非対称な窓を持ち、CA1の個々の神経に対するCA3からの様々な位相の入力の中で、どれに対して結合を増強するかが、内嗅野III層(ECIII)からの入力の位相によって制御された後シナプスの活動の位相で選択的に結合される。CA3での情報の記銘は歯状回(DG)の活動によって、任意の細胞に振り分けられるしくみになっている。ECIII からCA1への逆向きのシグナルの流れが、このような一旦乱雑化した書き込みを後で読み出すためのルートを確保するのである。2つの連想記憶回路は、新皮質から入力が入ってくる時点にオンラインで可塑性として一緒に変化することで記銘と想起を整合的に実行できる回路が生成する。

シータリズムが時間の流れの記憶を丈夫にする

図5 位相歳差生成を内嗅野に導入した海馬神経回路の記憶モデル(文献9,10)。

図5では、1つの時系列が1度だけの経験として海馬に入ってきた場合の、その直後に生じたシナプス結合を表示している。CA3内にできた結合行列で、結合の大きい部分が対角線より右上よりに並んでいる。このことが、時系列活動に対応した非対称結合としての神経結合が生じていることを示す。CA3-CA1結合においては、対角線上側に結合が選択的に生じている。このことは、CA3での活動に対して、それを受け取って内嗅野に戻すようなCA1の神経が選択的になっていることを意味する。この時、結合はタイミングによる制御であるため、この回路は1対1の結合ではなく、CA3の各位相で同時活動した集団(1つの場所を現す神経集団)を任意に束ねて皮質に報告できるようにする役割もしている。

図6 位相歳差の有無による記憶想起の成績の比較。(a) 行動入力の時間構造を2つのパラメータで定義、様々な値について記憶貯蔵、想起の計算機実験に用いる。数字の単位はシータ周期数とする。 (b) 位相コード(シータ位相歳差を用いた)モデルでの正しい記憶の想起ができたパラメータ領域(図の色の濃い部分が正しい想起)(c) 発火率コードでの想起の正しい領域。位相コードの方が圧倒的に広いパラメータ領域で記憶の想起が有効になることがわかる。それぞれのコードでのCA3内の神経活動と、そこから非対称シナプスが形成される手掛かり部分をマルで囲んで示す。位相コードでは毎周期位相選択的発火の順番が非対称シナプス生成に寄与するのに対し、発火率コードでは発火の開始と終了のところにしか、非対称性への手掛かりがない。(文献13

このような神経回路は、確かに実験でみられるような位相歳差の活動を再現し、時系列記憶を生成することができる。しかし、振動子が埋め込まれた連想記憶回路は少々おおげさで、妙に見えるかもしれない。このような装置をわざわざ利用する必然性はあるのだろうか。Sato and Yamaguchi(13)の計算機実験は、このような疑問に対して、振動を用いた記憶装置は不可欠であるという回答を与えた。図6がその結果の一例である。時系列入力を様々な時定数で与えた場合、その時間変化を認識して回路の結合に書き込む役割は、シナプス可塑性の非対称な窓という1つのしくみに任されることになる。もし非対称な窓を時系列そのものの時間変化にそのまま一致するように様々に用意することができれば、位相コードを通さずに直接に時系列をいれれば、それが回路の非対称結合に直接変換して貯蔵される。しかし、様々な時間の出来事に対してそもそも事前に窓を様々用意することは、物質的な実現の困難のみならず、神経装置の管理維持の経済から言って不可能である。位相コードは、時系列を時間圧縮するという能力によって、様々な時間差をシナプスの可塑性の窓の都合のよいスケールに持ち込むことで、最終段階では1つしかない時間特性の記憶装置にできるような仕事を与える仲介役をしている。また、このような仲介役が引き込みの性質で制御されているために、多少のノイズが入って来ても、しかるべき位相に瞬時に戻ることができる結果、ノイズへの耐性が強い。リズムで駆動された連想記憶回路が、新規な時系列に対して正確で安定な貯蔵の能力を獲得するのである。

以上のように、シータリズムの位相を考慮した海馬神経回路は、オンラインの記憶に対して、実時間での処理の方式が合理的に実行可能になることがわかった。

シナプス可塑性の備えるべき条件

ラット海馬の働きの出発は空間の認識にあった。エピソード記憶おいても出来事は空間的広がりを伴って時間的に展開する情報である必要がある。このことを定量的に評価するために、Wu and Yamaguchi(14)は上記の海馬記憶回路モデルで、時間空間パターンとしての記銘時のパターンと想起時のパターンの一致を定量的に評価した。

図7 行動入力のパターンが複雑になった場合の結合行列と記憶想起のパターン。ここでシナプス可塑性は文献14で報告されたルールに従う。図中、行動入力と想起の時系列とでグラフの時間スケールが10倍異る他はよく一致しているのに注意。想起過程は神経活動の時定数で決まるもので、行動入力より10倍程度速い過程となる。

ラットが同じ空間を異なる速度で走った時でも、想起される時間空間パターンが同じものになるかどうか、また場所細胞の重なりの程度が異なった場合でも正しく思い出せるかということを評価しながら、それを実演するためのシナプス可塑性のルールのもつべき必要条件を調べた。図7にそのような記銘と想起のパターンの例を示す。解析の結果、シナプス可塑性が入力を特徴づけるパラメータと関連をもって制御されるしくみが必要であることが新たにわかってきた。第1は、ラット走る速度がシナプス可塑性の速度と正に相関する必要があること、第2は、place fieldの重なりの程度の変化は、シナプスが最終的に到達する最大の結合の値に負に相関する必要があること、である。どちらも、CA3 に貯蔵された結合から、正しい時間空間パターンが再現できるための回路のもつべき性質(15)として導かれる。第1の性質は、実はすでにラットでよく知られた性質、ラットの走る速度が海馬の神経細胞の発火率に正に相関しているという性質で実現されることがわかる。まだ第2の性質は、シナプス結合の値が、個々のシナプスの性質で独立に決まるのでなく、細胞毎にシナプス結合の総量が一定になるという性質があることで実現できる(16)。このようなシナプス結合の細胞毎の制御はhomeostatic plasticity と呼ばれて最近実験的に報告されている性質と一致する。このように、出来事の記憶を実現するための学習ルールに必要とされる性質が、これまで別途知られていた実験的事実によい一致をもつことがわかった。これらは理論の実験的検証の可能性を示すもので今後の検証が期待される。

認知地図生成のしくみへ

さて、認知地図の生成のしくみはどうであろうか。認知地図の神経回路の構造としては、知覚手がかりの情報を場所出力に変換するfeed forward的な神経回路であるとする立場(17)と、場所細胞同士が環境の幾何学を反映して作る再帰的な結合の神経回路であるとする立場(18)とがある。われわれは、場所が文脈的な情報であるという立場から、後者の立場が少なくとも必要であると考えている。さて位相コードした海馬神経回路の働きが、時間的な面において、より優れていたが、果たして環境の幾何学という問題で機能するであろうか。

図7 ラットの海馬に形成される認知地図神経回路とその文脈的な役割の模式図。(文献19の結果による)

我妻らは、同様な海馬神経回路を持つモデルラットが、視覚で特徴づけられた空間を移動した場合に海馬CA3内にできる神経回路の性質を調べた(19)。その結果は、空間を経めぐることによって個々には1次元的な情報が統合されて2次元性をもつネットワークに成長することを示す。意外なことにこの場合でもシナプス結合の非対称性が個々に残って、しかもある役割を果たしている。それは、様々に結合されたネットワークの活動がいたずらに広がるのを防いで、空間的な局在が集団として表現できるような場所細胞の活動を実現する点、局在化した場所が、固定点としてでなく多様な方向への時間発展性を潜在化させており、行動依存的な入力のバイアスによって、どこからどこへという時間の流れの上での柔軟な場所表現に寄与することである。このネットワークはまた部分手がかり入力によって場所としてのネットワーク内の集合的な表現を完結的に形成して、それをトップダウンに新皮質に出力することが可能である(図8)。こうした機能は、文脈としての認知地図の機能の条件を満たしている。

ラットの海馬神経細胞の実験データ再考

さて、位相コードによる神経回路の研究から様々な機能が導き出されることがわかった。われわれのモデルで特定された場所細胞のもつべき位相依存的な性質と、実験で見られる神経細胞の発火活動をより定量的なレベルで比較してみる必要がある。ここで改めて問題になるのは、電気生理実験で得られた細胞の発火活動のノイジーな性質である。このことは10年前に報告されたデータの解釈をめぐって実はごく最近に至るまでまだ論争にある。

図9 ラット海馬場所細胞の位相歳差のある1つの細胞に関するスパイクの分布(a)と、様々な説による発火のルールの取りだし方の模式図(b、c、d)。説明は本文。周期構造を人為的に一点で切り離さないために、縦軸はシータリズムの周期数を2周期分とって2重にスパイクをプロットしている。

図9にそのいくつかの見方を整理した。1つの場所細胞について、そのスパイク発生のシータリズムに対する位相をプロットすると、空間の前進に伴う位相の早い方向へのシフト(図では右下がりの分布)が見られる。しかし、ラットが1度横切る(1ラップ)だけのデータでは、スパイクの数が少なすぎて明確なことは言えない。そこで傾向を見るためには、何回、何十回のラップのスパイクを重ねてプロットしてみる必要がある。そのようにして得られた1つの細胞の例が図に示されている。そこにあるのは、スパイクの雲である。OK’eefe and Recce (1993)(5)がこの性質を図9bにあるような線形回帰でリニア位相シフトとして見いだした点については、その炯眼さが実感される。しかし、この分布の形は細胞であまり共通性はよくなく、様々な多様性を伴うことがSkaggs et al. (1996)(6)で報告された。この分布を見て、さらに位相だけでなく、位相と発火率との一定の関係があるのだという報告(図9c)が昨年なされた。発火率のplace field 内での変化がまずあって、それが場所のより高分解な情報を表現、または位相情報への変換のキーになるという説である。OK’eefeらはこの発火率説の反証ともいえる論文を最近になって発表した(20)。位相と発火率の関係は1対1ではなく、位相が場所とよい相関をもつのに対し、発火率は位相とは独立で、別の情報に関わっているはずだとして、速度に依存した発火率の変化を挙げている。計算論的な立場から考えた場合、位相コードが細胞同士の時間の関係という情報を担うとすれば、発火率のようなラップ毎に確率的に変動する不確実な量からの変換はありえない。私達は、アリゾナ大学のマクノートン研究室の協力を得て場所細胞のシータリズム依存的な活動を定量的に解析した(21)。この解析での基本となる仮説は、理論モデルから来るもので、一様な位相シフトは半周期分に限定されることである。前掲の立場はいずれも、1周期全体に渡る位相シフトを前提としている。私達の解析では、シータ一周期の中では一様でないと想定されるスパイクの分布を記述できるために複数のガウス分布を用いて分布を近似する形を求めるという方法を適用した。アルゴリズムは期待値最大化法である。その結果ガウス分布を増やしても細胞間で共通したスパイクの分布としては、クラスターは高々2つになることがわかった。図9dに示すように、その1つはplace field の早い方から現れてシータリズムの半周期にわたって現れる一様な位相シフトの成分(図では斜めの直線で示す)、2つめは、place field の後半でシータの残りの半周期に現れる、位置と位相の相関が低い成分(図では丸で示す)である。すなわちシータ一周期にわたる場所細胞の活動は位相シフトとそれ以外の分という形で2成分に分離される。この立場を2成分説と呼ぶことにする。

われわれの2成分説をもたらした解析結果、ガウス分布2つで求めた分布形を図11に示した。位相歳差が調べられているのは、通常おもにCA1の錐体細胞である。ここではそれより海馬の入り口側にある歯状回(DG)の顆粒細胞についても解析することができ、それらの比較から回路の中の伝搬成分についてまで考察が可能である。結果として、半周期に渡って一様な位相シフトの成分は、CA1, DGともにどの細胞にも見られる。DGの方が位相が全体に0.2周期分進んでいることから、位相シフト成分は、海馬神経回路内を順方向に伝播していると考えられる。また、2つ目のガウス関数が独立して第2の分布のピークを形成するのは、DGでは見られず、CA1の一部の細胞(約半数)で見られた。(2つのガウスが重なって1つの位相シフト成分を構成するのが、ピークが単一の分布である。)このような第2の成分は回路内を順方向に伝播するのでなく、CA1で(そしてもしかしたらCA3でも)見られることから、回路の途中で発生したか、別のルートを通って投射されたものと考えるのが妥当である。以上より、解析結果は位相シフトは半周期で回路を伝播していることを指示するものであり、位相コードがシナプス可塑性のregulationをもたらすという仮説は十分支持される。さらに第2の成分は位相以外による別の情報のコードが海馬と海馬外の脳部位とのやりとりで起きている可能性を示唆するものである。しかしながらこの点は未解決である。

ラットからヒトへ

以上ラット海馬の実験に限定して考察した。その計算論的な重要性から考えて、海馬の位相コードは他の海馬を備える霊長類、人間でも利用されるべきであるというのが、私の考えだ。

ラットの特殊性がどのくらい限定を与えるのであろうか。実はこの疑問に関して、ごく最近急激に展開している。

まず、場所細胞はサル(22)、さらにヒトでもあることが報告された(23)。ヒトではコンピュータ上の仮想現実の空間を利用した移動課題におけるもので、てんかん患者の皮質内細胞外記録による。さらにヒトのシータリズムについても海馬のみならず、その認知的機能における役割に注目した脳のグローバルな情報の流れと関係した側面で報告が出るようになって来ている(24)

私達の研究室では、ヒトの記憶をラット海馬のしくみの発展として、またさらにシータリズムの発展としてヒトの認知機能全般における脳のリズムの役割を研究している。

文献

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